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言語理解

さて、本回からは各下位検査について考察を行っていく。

まず前提として、同じ群指数間でも検査が複数あるのには理由がある。

それは雑派にいえば測定されている面が違うからである。

 

例えば、言語理解における下位検査は、単語・類似・知識である。

単語はこれまで学校生活等で得てきた学習経験による影響が強い。単純で辞書的な単語の知識量。回答に必要なのは、世間一般的にも周知されているような、短く、決まりきったものである。故に、言葉の意味を知ってさえ入れば、さほど考えるのも表現するのも難しいものではない。ただ、単語は検査の中で2番目に行う、比較的早い段階で出題される。そのため、まだ検査に対する緊張や不安感がある場合、思い出せそうで思い出せない事態が発生するかもしれない。本人の緊張度等は検査中の態度で見ることが出来るだろう。

 

類似は単語の知識に加えて、抽象度が上がる。というのも、単語と単語の意味を知りつつ、どこが似ているのかを答えることは、辞書にない自分の言葉で、類似する点をまとめて表現する力が求められているからだ。故に、呈示された単語のイメージや理解が十分で、短文でも集約する力があればさほど難しいものではない。ASD圏では、言葉がまとまらずに、言葉を並べたり、集約が出来なかったりする。大切なのは、カテゴリー化して上位概念にまとめ、それを端的に相手に伝える力があるかどうかである。

 

知識もまた、学校教育で学ぶ問題が多い。ただ、知識の場合には問題は視覚提示されずに、聴覚より入力される。そのため、問題文を保持しながら思考する、下位のWMに近いところもあるかもしれない。というのも、問題文は比較的短いものが多く、問題に耳を傾け、ある程度一般的生活上で必要な知識が蓄えられていれば問題ない。強いて言えば、単語が辞書的な知識であれば、知識は一般教養、つまり、日常生活で蔓延るような内容として考えてもいいだろう。そのため、学習機会に乏しくても、メディア等で日常的に触れる機会があって、興味関心の幅が広く、そこから習得していれば、単語<知識と成り得る。符号の偶発学習にも関連してくるだろう。

 

最後に理解。これはVCの範疇ではないが、かなり関連があると考えて良い。

これは、日常生活を送る上で必要な社会規範やルール等が含まれる。何よりこの課題の大きな特徴としては、中程度の文章量から出題された問題に、まったく手がかりのないまま「文章」で答えるところがミソである。つまり、文章を聴覚入力して保持しつつ、既知の単語や知識を統合して、表現するところまでが求められている。他の下位検査に比べて、かなり自由度や抽象度が高い。そのため、社会参加の頻度や社会への興味など、これまでの体験の量や質が影響されるといって良い。

 

ここまで見てきたが、同じVCの検査でも差異があることが理解出来る。ポイントは以下の通り。

1.奥に行く検査ほど自由度が上がっている

2.伴って言語理解・統合して表現する力が求められている

3.視覚呈示と聴覚呈示がある

4.それぞれの検査で重なる部分(純粋な知識量・社会経験の幅)がある

 

大切なのは、どこが高くて、どこが低いのか。そこから導き出される根拠は何か。

何より、仮説を支持するだけの背景、Cl.の臨床像をよく興味を持って把握することだ。